テレビ朝日「羽鳥慎一モーニングショー」のコメンテーターとして、政治・外交問題に鋭い視点でコメントを発する弁護士・猿田佐世(さるた さよ)。日本と米国の両方で弁護士資格を持ち、日米外交の最前線で活躍するシンクタンク「新外交イニシアティブ(ND)」の代表として幅広く活動しています。
しかし、そんな彼女がどのような若い頃を歩み、どの大学でどのように学んだのかを詳しく知る人は少ないかもしれません。本記事では、猿田佐世の幼少期から大学・大学院時代までの軌跡を徹底的に掘り下げ、現在の活躍の原点を解説します。
猿田佐世とは?弁護士・国際活動家としての基本プロフィール
まずは猿田佐世の基本的なプロフィールを整理しましょう。
名前・年齢・出身地など基本データ一覧
以下は猿田佐世の基本プロフィールをまとめた一覧です。

| 本名 | 猿田 佐世(さるた さよ) |
| 生年月日 | 1977年2月28日 |
| 出身地 | 愛知県愛知郡東郷町(現:東郷町) |
| 出身高校 | 愛知県立千種高等学校 |
| 出身大学 | 早稲田大学法学部(1999年卒業) |
| 大学院(海外) | コロンビア大学ロースクール(法学修士)、アメリカン大学(国際関係学修士) |
| 資格 | 日本弁護士・米国ニューヨーク州弁護士 |
| 職業 | 弁護士・シンクタンク代表 |
| 所属 | 新外交イニシアティブ(ND)代表、内田・鮫島法律事務所 |
| テレビ出演 | 羽鳥慎一モーニングショー(コメンテーター) |
新外交イニシアティブ(ND)代表とは何をする人?
猿田佐世が代表を務める「新外交イニシアティブ(ND)」とは、2013年に設立された日本のシンクタンクです。その目的は、日本国内のさまざまな声を実際の外交政策に反映させることにあります。
具体的な活動内容としては、沖縄の基地問題や日米安全保障をはじめとする政策課題について、日本の政治家や市民団体がワシントンDCのキーパーソンと直接対話できる機会を創出すること。これは「日本からワシントンへの直接ロビイング」とも呼ばれる新しい外交アプローチです。
猿田佐世は弁護士としての専門知識と、ワシントンでの豊富な人脈を活かして、日本の声がアメリカの政策決定に届くよう働きかけています。その活動は国内外から高い評価を受けており、メディア出演や講演活動も積極的に行っています。
猿田佐世の若い頃!幼少期から高校時代までのエピソード

猿田佐世の強烈な国際意識は、実はかなり幼い頃から芽生えていたものです。その原点となったエピソードを紐解きましょう。
国連勤務を夢見た小学生時代――ユニセフとの出会い
猿田佐世が国際社会への関心を持つようになったきっかけは、小学生の頃に見たテレビ番組にあります。ユニセフ親善大使がアフリカの子どもたちを支援する姿をテレビで見て、「世界で困っている人を助けたい」という思いが芽生えたと語っています。
この体験から彼女が最初に抱いた夢は「国連職員になること」でした。貧困や戦争で苦しむ世界中の子どもたちのために働きたい――そうした純粋な使命感が、幼い猿田佐世の胸に深く刻まれていたのです。
愛知県東郷町という地方都市に育ちながらも、世界に目を向けていた猿田佐世。国際問題への強い関心は、この幼少期の体験なしには語れません。その後の学歴・キャリア選択にも、この「世界の困っている人を助けたい」という原点は一貫して流れています。
高校で弁護士を志す!愛知県立千種高校での学び
猿田佐世は愛知教育大学附属名古屋中学校を経て、愛知県立千種高等学校へ進学しました。千種高校は愛知県内でも進学校として知られ、多くの優秀な人材を輩出している学校です。
転機となったのは、高校2年生の時のことでした。それまで「国連で働きたい」という夢を持って先生に進路相談をしていた猿田佐世に対し、担任教師から「猿田だったら弁護士が向いているんじゃないか」という言葉をかけられたのです。
このアドバイスが彼女の人生を大きく変えました。法律を学び、弁護士として国際問題に取り組む道があることを知った猿田佐世は、弁護士を目指すことを決意。国連勤務という夢は形を変えながらも、「世界の問題を法律の力で解決したい」という志として昇華されていきました。
高校時代から既に国際問題への強い関心を持っていた猿田佐世。千種高校での学びが、後の早稲田大学法学部への進学、そして国際弁護士としてのキャリアへの第一歩となったのです。
猿田佐世の大学は早稲田!法学部での学生生活と在学中の活動

弁護士を志した猿田佐世が選んだのは、日本を代表する法律の名門・早稲田大学法学部でした。大学時代の彼女はどのような学生生活を送ったのでしょうか。
なぜ早稲田大学法学部を選んだのか?進学理由と志望動機
愛知県立千種高校を卒業後、猿田佐世は早稲田大学法学部に進学しました。弁護士を目指すうえで、早稲田大学法学部は最高峰の選択肢のひとつです。
早稲田大学法学部は、司法試験合格者を多数輩出してきた実績ある学部。法律の基礎から応用まで幅広く学べるカリキュラムと、多彩な学生が集まるキャンパス環境が、国際問題にも強い関心を持つ猿田佐世の志望に合致していました。
また、早稲田大学は東京の中心部に位置しており、国際的なイベントや勉強会へのアクセスも容易です。「世界に関わる仕事がしたい」という思いを持つ彼女にとって、東京の総合大学という環境は大きな意味を持っていたことでしょう。
在学中からアムネスティで活動!国際人権への目覚め
早稲田大学在学中、猿田佐世は国際人権団体「アムネスティ・インターナショナル」での活動に参加しています。アムネスティ・インターナショナルは、世界中の人権侵害に対して声を上げる世界最大級の非政府組織(NGO)です。
在学中からこうした人権活動に携わったことは、猿田佐世の国際感覚を大きく育てる機会となりました。法律の勉強だけでなく、実際に国際社会の問題と向き合う経験が、後の弁護士・国際活動家としての姿勢の基礎となっています。
「法律を学びながら、実際に世界に関わる活動をしたい」という猿田佐世の行動力は、大学時代から際立っていました。学業と並行して国際活動に積極的に参加する姿勢は、後にシンクタンクを設立するエネルギーにも通じるものがあります。
大学卒業と同時に司法試験一発合格!その努力と秘訣
猿田佐世が1999年3月に早稲田大学法学部を卒業したのと同じ年、彼女は司法試験に一発合格するという快挙を成し遂げました。
当時の旧司法試験の合格率はわずか約2〜3%とも言われる超難関試験です。毎年数万人が受験する中で合格するのは数百人程度という「日本一難しい試験」と称された試験を、大学在学中から準備して見事一発合格したのです。
猿田佐世の司法試験合格は、単なる秀才の結果ではありません。弁護士として国際問題に関わりたいという明確な目標意識と、アムネスティ活動などで培った「社会問題を解決したい」という使命感が、困難な試験準備を支えたのではないでしょうか。
この司法試験合格により、猿田佐世は弁護士としてのキャリアへの第一歩を踏み出すこととなります。しかし彼女の学びへの意欲はそこで終わりませんでした。
コロンビア大学・アメリカン大学へ!猿田佐世の海外留学と大学院時代

司法試験合格・弁護士登録後も、猿田佐世の探求心は留まりませんでした。より広い国際的視野を求めて、彼女は米国の名門大学院へと進学します。
コロンビア大学ロースクールへ留学!ニューヨークでの法学修士号取得
日本で弁護士としての活動をスタートさせた猿田佐世でしたが、より高度な国際法の知識を得るため、ニューヨークにあるコロンビア大学ロースクールへの留学を決意します。
コロンビア大学ロースクールは、ハーバード、イェールと並ぶ米国三大法科大学院のひとつで、世界最高峰の法曹教育機関です。各国から優秀な法律家や研究者が集まるこの場所で、猿田佐世は法学修士号(LL.M.: Master of Laws)を取得しました。
ニューヨークという国際都市での生活と、コロンビア大学での学びは、猿田佐世の視野を日本国内から真の国際的スケールへと広げました。米国法の考え方や、アメリカの法律・政治システムを内側から学んだ経験は、後の日米外交活動において不可欠な資産となります。
また、コロンビア大学での人脈形成も重要でした。世界各国からの優秀な同級生や教授陣との交流は、国際的なネットワークの礎となり、後のシンクタンク活動でも大きな力を発揮することになります。
アメリカン大学で国際政治研究――日米外交の真実を知る旅
コロンビア大学での法学修士号取得後、猿田佐世はさらにワシントンDCのアメリカン大学(American University)へ進み、国際関係学の修士号を取得しました。
ワシントンDCはアメリカの政治の中心地です。ホワイトハウス、国務省、議会、そして無数のシンクタンクが集まるこの街で過ごした日々は、猿田佐世に大きな衝撃を与えました。
彼女がワシントンで目の当たりにしたのは、日本では語られることのない日米関係の実態でした。日本の外交政策がどのようにアメリカ側の視点から見られているのか、日本の声がどのようにワシントンに届いていないか――こうした現実を知ることが、後の「新外交イニシアティブ」設立の直接的なきっかけとなります。
アメリカン大学での研究活動を通じて、猿田佐世は日米外交の構造的な問題点を深く理解するようになりました。「日本からワシントンへの直接チャンネルを作らなければならない」という使命感が、ワシントン生活の中で確固たるものとなっていったのです。
日本+米国ニューヨーク州の弁護士ダブルライセンス取得の意味
猿田佐世は現在、日本の弁護士資格に加えて、米国ニューヨーク州の弁護士資格も保有しています。このダブルライセンスは、彼女の国際活動において非常に重要な意味を持っています。
日米の法制度を熟知した弁護士として、猿田佐世は日本側とアメリカ側の双方の立場から問題を把握し、橋渡し役を担うことができます。単なる翻訳・通訳を超えた、法律の専門家としての深い理解に基づく交渉・対話が可能なのです。
日本国内で弁護士登録をしながら、コロンビア大学留学を経て米国ニューヨーク州弁護士資格も取得するというキャリアパスは、国際的に活躍する弁護士の中でも特に高い専門性を示すものです。この経歴が、猿田佐世が日米外交の実務家として信頼される大きな理由のひとつです。
学歴が活動に与えた影響――猿田佐世が国際外交活動に転じた理由

早稲田大学法学部からコロンビア大学、アメリカン大学へと続く学歴は、単に知識を得るためだけのものではありませんでした。猿田佐世の経験が現在の活動にどのように繋がっているのかを見ていきましょう。
新外交イニシアティブ設立のきっかけとなったワシントン体験
2013年、猿田佐世は「新外交イニシアティブ(ND)」を設立しました。その直接のきっかけとなったのは、ワシントンDCでの経験です。
ワシントンでの研究活動や交流を通じて、猿田佐世は日本の声がアメリカの政策決定に届いていないという現実を痛感しました。日本の外交は多くの場合、政府間チャンネルに限定されており、国内のさまざまな意見や市民社会の声がワシントンに直接届く仕組みがほとんどありませんでした。
「このままでは、日本にとって不利な政策が決定されてしまう。日本国内の多様な声をワシントンに届けるための民間外交チャンネルが必要だ」という強い危機感が、新外交イニシアティブ設立の動機です。
コロンビア大学・アメリカン大学で築いた人脈と、弁護士としての交渉力・分析力。これらの学歴で得た財産を最大限に活かした活動が、新外交イニシアティブです。猿田佐世の若い頃からの学びが、ここで一つの形として結実しているのです。
モーニングショー出演で注目!現在のメディア活動と発言内容
一般の視聴者に猿田佐世の名前が広まったのは、テレビ朝日の「羽鳥慎一モーニングショー」へのコメンテーター出演がきっかけです。
番組では主に政治・外交問題について、鋭い分析と歯に衣着せぬ発言で注目を集めています。選択的夫婦別姓や沖縄の基地問題、日米安全保障など、センシティブな政治課題に対して明確な意見を述べるスタイルが視聴者の間で話題となっています。
早稲田大学で培った法律の基礎知識、コロンビア大学・アメリカン大学で深めた国際法・国際政治の専門性、そしてワシントンでの実務経験。これらすべての学びが、猿田佐世のメディアでの発言に深みと説得力を与えています。
若い頃から「世界の問題を自分の力で解決したい」と夢見た少女が、今や日本の外交政策に実際の影響を与える存在へと成長した。その軌跡は、学びと行動を継続することの大切さを私たちに教えてくれます。
まとめ:猿田佐世の大学・若い頃から学ぶこと

本記事では、猿田佐世の若い頃のエピソードから大学・大学院時代の学び、そして現在の活動へと繋がる軌跡を詳しく解説してきました。最後に重要なポイントを振り返りましょう。
猿田佐世の歩みを整理すると、次のようになります。
・小学生の頃:ユニセフ活動に感化され、国連勤務を夢見る
・高校時代(愛知県立千種高校):担任教師の言葉で弁護士を志す
・大学時代(早稲田大学法学部):アムネスティで活動、司法試験一発合格
・留学(コロンビア大学ロースクール):法学修士号取得、国際法の専門性を深める
・大学院(アメリカン大学):国際関係学修士号取得、ワシントンで日米外交の実態を知る
・現在:新外交イニシアティブ代表、モーニングショーコメンテーターとして活躍
一貫しているのは「世界の問題を解決したい」という幼い頃からの強い志です。国連勤務という夢は弁護士への道へと形を変え、さらに国際外交活動という新たなフィールドへと進化しました。
猿田佐世の学歴・経歴は単なる「優秀さ」を示すものではありません。それは、一つの夢を様々な形で追い続けてきた人間の、たゆまぬ努力と行動の軌跡です。
早稲田大学→司法試験一発合格→コロンビア大学→アメリカン大学→新外交イニシアティブ設立。この道のりを歩んだ猿田佐世の若い頃のストーリーは、これからのキャリアや学びを考えるすべての人へのインスピレーションとなることでしょう。
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